【大学入試センター試験】試験場でアクシデント⁉︎ 試験の点数よりも大切な事
1.扉が開かない
もう10年以上も前のセンター試験でのこと、大学教員である私のその年の役目は、監督者ではなく、建物の入り口に立つ警備係でした。
試験初日の朝、受験生がほぼ建物の中に入り、屋外では姿をみかけなくなった頃、私はそこに立っている必要がないと判断したため、会場の中に入って見回ってみることにしました。
建物内は廊下に人影はなく、静寂そのもの。既に受験生が教室に入室を終えた後のようでした(試験前のあの例のシーンとした緊張感が漂う感じ。わかりますよね?)。
1階をちょっと歩いて、建て増しの建物との境にある奥まった階段を、ひょいと見上げた時でした!
そこに、参考書などを見ながらのんびりと立っている複数の受験生がいたのです!!
試験開始まであと10分足らずの時刻であり、既に監督者が問題を配りだしたであろう時間帯なのに、試験室の外にいるとは・・・・!!!
ありえない光景でした。
「君たち! 何故、入らないの?」と、私
「扉が開かないので…」と、一人の受験生
言葉を失いました。
その教室は、階段を上がったところにある唯一の試験室で、出入り口は2か所。
彼らが立っているのは裏側の方です。
表側の入り口はオープンな廊下につながる場所にありますが、裏側の入り口からは、他の教室の入り口は全然見えず音もまったく聞こえません。
ここで待っていた受験生たちは、他の試験室では既に受験生が入室済みであることに、気付かなかったようです。
受験生をかき分けてその入り口の前に立った私は、試験室の扉を、コンコンとノックします。
数秒待つと、中から、カチャンと鍵を開ける音がして、監督者の先生が怪訝な表情を覗かせます。
そして、私の後ろにいる10人ほどの受験生の塊(かたまり)を見つけて、唖然としていました。
教室内では他の受験生たちが既に着座して、説明を聞いておりました。
その先生によれば、受験生入室の時間がしばらく過ぎても、10人ほどの空席があるのでおかしいなぁ、と思っていたけど、説明を開始したところだったそうです。
まさか裏側の出入り口の鍵が閉まっており、こんな風に受験生たちが待っているとは想像すらしなかったとか。
当の受験生たちも、この教室の表側の入り口から大方の受験生が入室したことに思い至らなかったという訳です。
ゾロゾロと遅れて入ったこの受験生たちを受け入れたその試験室では、既に始められていた試験監督者の説明をもう一度繰り返さざるを得なかったので、
この教室のみ開始が5分遅れてスタートした次第です。
重大な事故につながりかねないハプニング。確かにそうでした。
でも私は、正直言って、内心ホッ、としたのも事実でした。
教室全体の開始がやや遅れたとはいえ、実質的に誰かが不利になるような大事には至らなかったから…(と書いてみて、前向き過ぎる見方で、我ながら苦笑いですが…)
実際、その受験生たちも不安そうにするでもなく、焦っている表情も見えず、至って穏やかな様子で、のんびりしたものでした。
それも私にとっては、大事ではなかったと思えた救いでした。
そう、救いのはずでした。
ところが!!!
2.新聞を開いたら
翌日の朝刊を開いて、びっくり!
「〇〇大学、試験会場でトラブル」という見出しが踊っています。
5分遅れの開始が、さも大事件であったかのような大きさで掲載されていました。
オイオイ、それは無いぜ、〇〇新聞さんよ
センター試験実施に関するネタ探しをしている新聞社にとって、「飛んで火に入る夏の虫」だったのでしょうか。
私は、センター試験に関する新聞の怖さを知りました。
(もちろん、試験時間をあのように遅らせる事がないように運営しなければならず、当局側として反省すべき失敗ではありますが。)
3.人生を開くために
今年のセンター入試も、トラブルが各地でけっこうあったようですね。
あの時とは、それこそ次元の違う本当に深刻な問題(不正行為や監督者の居眠りといびき等)も含まれており、正に重大な事案だと思います。
そういった不始末が起こらないように、5年後、10年後、センター試験の監督業務はどのように変わっているのでしょうか。
試験監督AIロボットなるものが登場してくれたら…、とも思います。ロボットであれば、居眠りもいびきも無縁ですし(笑)
もっともそのような優秀なロボットが出てくれば、監督業務だけでなく、授業も研究も肩代わりしてくれて、教員に対する大幅なリストラがなされてしまうのかも、ですが(汗)
最後に、この出来事に関連して、私が別の観点から感じて、考えてみたことを記しますね。
あの時、もしも私がたまたま持ち場を離れず、この受験生たちに気がついていなかったら、開始はもっと遅れ、もっと大きく問題視されていたことでしょう。
逆に、もしも私がもっと早くに受験生たちに気がついていたなら、あるいは試験室の監督者が注意深く後方の扉を確認できていたならば、このような失態はなかったとも思います。
そしてこの「もしも」の仮定を、受験生にも付け加えることが許されるなら…、
つまり、この受験生たちが、「扉が開かない」のはおかしいと時計を見ながら普通に気づいて、ただ待つだけでなく何らかのアクションを起こしてくれていたら、とも思ったりしたのです。
もちろん私は当事者であり、運営側の人間ですし、このようなことを言う資格はないのかもしれません。
けれども、あえて人生の先輩として若者に言わせて貰えるなら…、
自分で状況を的確に判断する注意力があると良かったなぁと思いました。
周囲の環境に目を向け自分で疑問を持って考えられる賢さや、自ら手を伸ばして動きだす能動性を身につけていってほしいなぁと思ったのです。
最高学府に学ぼうとする若者なら、そういうことこそできる人間になってほしい。
それは、試験の点数もさることながら、人生を切り開いていくためには最も大事なこと、だとも思うからです。そういう姿勢こそが人生を決めていくから。
キリストの教えにもありますよね。
「門を叩け、さらば開かれん」
最後は、やや飛躍した主張に変わってしまったかもしれませんが、
最近の学生諸君の受動的な大人しさに対し、ややもの足らなさを感ずる大学人からの、思わずこぼれ出た大いなるエールと受け止めてもらえれば、幸いです。