落合陽一『日本再興戦略』書評と2つの疑問点
1.なぜ読み、ブログにまとめたのか
「書評を書いてほしい」と頼まれた。
著者ご本人から・・・ではない。私の例の息子から(笑)、だ。
「社会的に注目されている人が出版したばかりの本だから、ブログに載せてはどうだろう?」、というのがその理由だった。
本業の仕事であれば別だが、プライベートな書評書きのリクエストに時間を割く余裕はない。LINEメッセージの返信には、「寝ている人」の絵文字のみを素っ気なく送り、息子とのやりとりを終わらせた。
が、しばらくして考え直した。
そのような慣れ親しんだ至極まっとうな判断を変えてみよう!
なぜって、今宵は「満月だから」(満月教授というペンネームでやっている)という冗談はともかく、第6回目のブログで記したように変化していくことは大事で、変わらない限り勝負には勝てない(って、そもそも何の勝負だ!笑)。
まして、家族の一押し、子どもからのお願いは親として引き受けてしまいがちなものなのです。これも第1回目のブログで触れましたね。
そのような、紆余曲折があっての今回の記事。
その程度の動機で載せる書評であることを最初にお断りしたい。
しかし、だからこそきっと、さほどの興味が著者にない人も、読んでもらいやすいものになるかもしれない。掛け値なしの評価(書評)を書きたい。
2.著者について
落合陽一、30歳。
黒服がお好きらしいし、孤高に生きるイメージは、手塚漫画のブラック・ジャック?
顔の表情もややエキセントリックというか不気味で、何かをやらかしそうなただならぬ雰囲気を感じる。
肩書としては、筑波大学図書館情報メディア系准教授、学長補佐、デジタルネイチャー推進戦略研究基盤長も兼ねる。ピクシーダストテクノロジーズ株式会社 代表取締役社長。つまり研究者でありメディアアーティストであり、実業家、経営者でもある。多才だ。
ちなみに、中年以上の方なら、落合信彦という人を覚えているだろうか。
国際政治ジャーナリストだが、アサヒスーパードライのTVコマーシャルに派手に出演して強烈な印象を残した。そのご子息である。
3.構成および著者の問題意識
第1章 欧米とは何か
第2章 日本とは何か
第3章 テクノロジーは世界をどう変えるか
第4章 日本再興のグランドデザイン
第5章 政治(国防・外交・民主主義・リーダー)
第6章 教育
第7章 会社・仕事・コミュニティ
天下国家を論じて他方面にまたがる領域をカバーし素描している。
マルチな分野での活躍がなければ書けないと、本人が豪語する通りであろう。
彼の問題意識や執筆動機は次のようなものであると理解した。
日本を何とかしないといけないという危機感はあるはずなのに、イノベーティブじゃないとか、生産性が低いとか、少子高齢社会であるなど、相当にネガティブな日本についての意識が蔓延している。しかしそれは旧来の思考や認識に縛られた誤った見方であり、むしろ日本がこれから発展していく上で好条件を揃えた可能性が詰まった国。だから戦後に日本人が作った悪しき精神構造を変え、政治経済社会システムやテクノロジーの更新をどんどん行っていくべきだ、というもの。
様々な分野での経験に裏打ちされた新しいパラダイムが提示されているが、大変読みやすくて、すぐに読み通すことができた。
感想は、日本の未来を見据えて読んでおくべき本、暗いと言われる日本の未来に希望を抱かせる本だった。
4.本の概要
まず彼は、日本人が古来より持っていた自然観、国家観、宗教観などを掘り起こして日本人論を語る。日本人が明治以降お手本にした「欧米」という概念のナンセンスさを洗い直す時期が来ていると説く。欧米を真似しなくても、日本人の考える基軸はあるという立場で、歴史をたどり、東洋の持つ潜在的な可能性を語り、日本という国の伝統や文化、日本人の宗教や価値観、労働観、審美眼などが、現代において持つ優位性を説明する。
今後は、お家芸ともいえるテクノロジーの開発を進めながら、日本国の伝統に合う自律分散型の統治機構(地方分権)や、ローカルな経済圏を作るための仮想通貨などの自立的な経済システム(トークンエコノミー化)を積極的に導入することが、日本再興の鍵であることを訴えている。
5.個人的に面白かったこと
私がユニークだと強く感じたのは、日本が抱える「人口減少・高齢化」こそが、チャンスだという指摘だ。
彼曰く、日本では機械化によって仕事を省人化しても、ネガティブな反応ではなく、むしろ人口減少に伴う労働力問題解消の切り札、として歓迎される。人口減少や高齢化が他国に比べて早く進むため、問題を解決するための様々な試みや新しい社会実験をやりやすい利点がある。少子化で教育コストを十分にかけられるので、変革に対応できる優秀な人材を生み出しやすいのもアドバンテージになる。つまりは少子高齢化や人口減少は機械化というテクノロジーによって対処できる時代になるので「何の問題もありません」。むしろ未来は人口増加の方が、労働機会を奪う意識から、機械化を阻む力が働きかねないので大変という見方だ。
今ホワイトカラーのする窓口業務などはほとんど機械化され、運搬業務も機械化できる。介護もロボットに任せられる。
日本人はもともと機械フレンドリーな国民性を持っているので、拒否反応もないだろうという日本人論も添えられている。
機械と人間の融合が進むことの強調は、研究者であり実際にそのようなプロダクトを開発・製品化を目指している著者の実感からだろうから、興味深かった。
今、視力を補うメガネが当たり前のように、将来は、体が動かなくなったら体に車輪をつけ、腕が動かなくなったら外骨格でロボットアームをつけるといったように、機械のパーソナリゼーションが当たり前の発想になると断言していた。認知症によって1日分しか記憶がもたない老人がいても、それをヘッドマウントディスプレーが補完するので大丈夫だそうである。
人間が機械化され、人と機械の親和性があらゆるレベルで上がっていく。
2040年の日本は独り暮らしの割合が4割になるというのが、先日発表された国立社会保障・人口問題研究所の推計である。
そのときに、身寄りがない高齢者でも、ロボットの孫と一緒に暮らしているから安心ということ。日本は世界の高齢者にとっての楽園になるかもしれませんとさえ言う。
人口減少は労働力と購買力を減少させるので大きな社会問題に普通はなるのだが、機械が仕事をするので労働力問題は解消し、需要の低下も高齢化に取り組んだ成果や商品が海外で売れるために問題にならないどころか経済的に豊かになるそうだ。
6.2つの疑問
仕事柄、本を執筆する大変さをそれなりに知る者としては、これだけの広い分野に関する記述をよくまとめたなと率直に感じた。
ただその一方で、もう少し説明が欲しい、細部でもっと詰めるべき点も感じたので、少しだけ記す。
①格差問題、富の再分配について
日本国全体の問題は論じられているが、個々人の生活レベル、格差問題については触れられておらず、富の再分配問題が気になる。ロボットが発達して使い勝手がよくなったとしても、その時にロボットを入手できる高齢者は一体何割いるのだろう。儲かるのは資本家だけ、というおなじみの構図にならない懸念はどう払拭されるのだうか。
この点と重なることだが、彼は、江戸時代に様々な作業に従事した百姓が可変性の高い労働力を有していたと持ち上げて、今後の多くの国民の生業モデルのように記す。
画一製品の大量消費というビジネスモデルは終わり、多様化した個別ニーズの需要に対応するような生産システムが求められる未来には、様々な業態の求めに応じて行き来きできる労働者が求められるという訳だ。
自分探しをして迷い続ける人が多い混迷社会よりも、イキイキと百の生業をこなせる生き方が可能になる方が幸せであると説く。
が、「百姓」では、幸福のイメージが湧きにくいのも事実だ。そもそも百の仕事とはどのようなものなのか。「水飲み百姓」という言葉がある通り、当時の百姓の生活レベルはきわめて低く、飢饉も頻繁にあり多くの農民が餓死している。士農工商の「カースト」についても彼はよいものとして例にあげているが、二番目に農民が置かれたのも、武士にとって飯のタネを供給するから大事といった程度の意味で、けっして工や商よりも地位が高かったり豊かであったりした訳ではない。
喰うや喰わずの貧乏を想起する昔の「百姓」のような働き方が求められるというのではないと思うものの、この比喩はあまり魅力的には映らなかった。
単純作業が機械化されている現代において格差が広がっているように、富の再分配問題がどのように解決していくのかは、多くの読者が気になるはずである。
もちろん国全体が真の意味で豊かになれば、そのようなことは杞憂に終わるのかもしれないが、「空前の好景気」という割に庶民の暮らしは豊かにならない昨今の状況をみていると、著者が説くバラ色の未来を読者も想像するためにもっと説明が必要だと感じたのも事実である。
②中央政府は既得権益を簡単に手放すのか?
地方分権を中心とした非中央集権化が日本浮上の鍵であるという文脈の中で、その政治体制の変革を阻む勢力として、地方自治体のみを挙げて、容易に実現できるとしている。自治体は、これまで努力をしなくても税金が入ってきて安穏としていたから、抵抗勢力になるかもしれないとの見方だ。
一方で中央政府(霞が関)の方は、「財政が逼迫する中で地方に交付金を払い続けるのは難しい」から、地方分権が進むのは「願ったり叶ったりではないでしょうか」と楽観視している。
本当だろうか。
何か事あればすぐにそれを利用して既得権益を拡大したり天下り先を増やす体質の官僚達が、そんなにあっさりと分権化を認めるのかについて、記述量も少なく説得力も乏しすぎる。私には大いに疑問であった。
落合氏の説く自律的な経済圏がローカルに生まれていけば、おのずと中央政府である霞が関の財力や影響力が低下していくということなのだろうか。
いずれにしてもこの国は官僚の意向や力が本当に大きく影響してきた。一回の政権交代ごときではどうにもならなかったのは周知の事実だ。
だから、霞が関をどのように誘導して変えていけるのかは、日本変革の実現性が左右される大きな問題であろう。
7.著者からのメッセージ
以上、紹介できた内容は一部にとどまり、この本には、他にも興味深い記述が多い。
私の目を引いたもの、共感したものを思い出す限り項目のみをランダムに記すなら…
「西洋的な個人」の時代不適合性、 日本は超拝金主義、
MBAよりもアート、東洋のイメージをブランディングする、
防衛軍も機械化、 仲良くしていくべき国はインド、
英語力よりも日本語力、中流マスメディアの罪、
「自分探し」よりも「自分ができること」から始める
いずれもなるほどと思ったし、著者の発想のバックにある価値観や、合理主義・現実主義的な視点や判断も垣間見得た。
彼が終章で記しているメッセージ性の高い文章も紹介しておこう。
これからの時代においては、いろんなリスクばかりを考えて、なかなかチャレンジできないと、機械と同質化する一方になってしまいます。
最近、僕は「人類のよさは、モチベーションだ」とよく言っています。
読者のみなさんにあらためて言いたいのは「ポジションを取れ。とにかくやってみろ」ということです。ポジションを取って、手を動かすことによって、人生の時間に対するコミットが異常に高くなっていきます。ポジションを取るのはけっしてむずかしいことではありません。結婚することも、子どもを持つことも、転職することも、投資をすることも、勉強することも、すべてポジションを取ることです。
最後は、彼が過去にツイッターに書いた檄文をそのまま載せていた。
ポジションを取れ、批評家になるな。フェアに向き合え、手を動かせ、金を稼げ、画一的な基準を持つな、複雑なものや時間をかけないと成し得ないことに自分なりの価値を見いだして愛でろ。あらゆることにトキメキながら、あらゆるものに絶望して期待せずに生きろ。明日と明後日で考える基準を変え続けろ。
彼の座右の銘は「変わり続けることを変えず、作りつづけることをやめない」だそうだ。
8.謝辞
実は、私にはもう一人、息子(大学生)がいる。その息子が落合陽一を強くリスペクトしているのだ。
息子は、落合氏を見習ったのかどうか、今、コンピューターを使って何やら新しいプログラミングを始めているそうだ。彼なりに社会を変えたい人の役に立ちたいと思い行動を起こしているそうで、親としてその積極的な姿勢に率直に嬉しいと感じている。「満月」というより「月並み」な親の感想になったが(苦笑)
とにもかくにも、息子の分も含めて、「落合さん、ありがとう」とお伝えしたい。